20年前の盧武鉉が正しい、記者のみに公開可能な情報はない【Ohmynews】2022,7,28

[民主言論市民連合 言論フォーカス]
依然として記者室に「Inner Circle」が存在…公開可能な情報、すべて公開されるべきだ

[民主言論市民連合 言論フォーカス]は、言論界イシューに対する現実診断と言論政策の方向性を模索してみる文章です。言論関連イシューを通して市民と意志疎通し、討論する目的で民主言論市民連合が用意した記名コラムであり、民主言論市民連合の公式見解と一致しないこともあります。今回の筆者はイ・ヂョンファン【Media Today】代表です。

 私は盧武鉉、元・大統領が正しかったと思う。盧武鉉、元・大統領は任期末に記者室閉鎖を推進したが、途方もない逆風にぶつかった。『記者たちが記者室に閉じこもって談合し、記事の流れを主導している』という国務会議発言が火をつけた。記者室の「大釘(封鎖)」という言葉もその時に出た。進歩・保守を問わずマスコミが立ち上がり、盧武鉉、元・大統領は戦争を繰り広げなければならなかった。政権が変わった後、「大釘」が抜けた。記者室が再び開かれ、指定席と読書室の仕切りも復活した。

 盧武鉉、元・大統領の「取材支援システム先進化方案」は、出入り先中心の記者制度を無くし、開放型ブリーフィングルームに切り替えるという構想だった。韓国は新聞社が許可制ではなく登録制だ。新聞社を設立したければ、誰でも市庁に行って申請さえすれば、20日ほどかけて報道機関に登録される。政府が記者証を発給したり管理したりするわけでもない。誰もが簡単に報道機関を作ることができ、誰もが記者になれる時代だ。

 開放型ブリーフィングルームは、報道機関の記者なら誰でも簡単に接近できなければならないという趣旨で作った制度だ。誰もが記者だからといって政府省庁に入ろうとしたらどうするのかという反論もあるだろうが、それが可能でなければならないというのが盧武鉉、元・大統領の考えだっただろう。メジャーとマイナーのような区分なしに、記者なら誰でも入ってきて質問を投げかけることができ、資料を要請して受け取ることができなければならないという、やや過激な発想だった。記者の特権を無くすというのが盧武鉉、元・大統領の強い意志だった。

 座って記事を書く国は韓国と日本だけ

 【Ohmynews】が仁川国際空港の記者室から追い出され、裁判所に仮処分申請を出したのが2001年3月だ。裁判所は記者の出入りを制限する理由がないと仮処分申請を容認した。当時は“どこの‘聞くことも見ることもできない雑用者’新聞社が敢えて”という雰囲気だったが、今や時代は変わった。2019年基準で韓国に登録された報道機関は6031種で、言論産業従事者は5万9077人に達する。報道機関を等級で分けて出入りするかどうかを決める原則だが、名分もない。

 それでも取材現場では依然として記者室の「Inner Circle」が存在する。検察と裁判所がある「ソウル瑞草(ソチョ)洞」では、出入り記者でなければ判決文を受け取ることができず、部長検事の「ティータイム(非公開ブリーフィング)」にも入ることができない。ソウル市庁の記者室は、未だ出入り記者たちが投票を通して報道機関別の記者団に加入するかどうかを決める。投票日には加入を希望する記者たちがプレゼンテーションまでするという。「進入障壁」が最も高いところは警察庁だ。出入り記者でなければ、初めは主要事件に接近さえできないシステムだ。

 大統領府と国会は相対的に敷居がかなり低くなったが、政府部署がこのように記者室を運営する国は世界的にも指折り数えられるほど少ない。記者たちが記者室に出退勤しながら、一日中座って記事を書く国は韓国と日本だけだ。1920年代、日本の記者クラブの影響を受けて作った記者室システムが、軍事独裁時代に言論統制手段として活用され、2000年以降、主流マスコミの特権を防御する既得権カルテルに変質したという批判を受けている。

 記者室では、記者同士で特定事案に‘記事差し止め(embargo)’をかけたり、任意に‘記事差し止め’を破ったりすると、出入り停止措置を取ることもある。些細なことには、月曜日付の記事が足りないので、残しておいて日曜日に書こうと‘記事差し止め’をかけることもある。取材員たちが「オフレコ」を要求する事案に、ある報道機関がこれに違反すれば、他の記者たちがこれを非難する場合もある。無分別な速報競争を自制するという趣旨だが、このような談合が結局は似たような記事が溢れる構造につながるという批判も多い。

 理解し難いソウル高等裁判所の判決…慣れ親しんだ慣性が退行の原因

 【Media Today】は昨年、ソウル中央地方裁判所などに出入り記者申請をしたが拒否されると、出入証発給拒否処分を取り消してほしいという訴訟を起こして勝訴した。ソウル行政裁判所は、『記者室使用と出入証発給許可は被告(裁判所)の業務なので、出入記者団の判断にこれを任せることはできない』と明らかにした。担当記者団の記者たちが他の報道機関記者の記者室出入りの可否を決め、取材接近範囲を制限する権限がないという意味だ。

 しかし、最近の控訴審でソウル高等裁判所は『被告が実質的な拒否意思を対外的に表示したとは見難く、この事件申請に対してその手続きを案内したに過ぎない』として、裁判所の手を上げた。担当記者団に問い合わせろと案内しただけで、担当記者団が【Media Today】記者の記者団加入を拒否したことと、裁判所が記者室出入りを許容しなかったことは別だという、理解し難い論理だった。【Media Today】は最高裁に上告する予定だ。

 私が考える記者室問題の解決策は明確だ。記者たちにだけ公開できる情報というものはない。公開可能な情報はすべて同時に公開されなければならず、記者室に座っている記者たちに提供される資料は、同時にオンラインにアップロードされなければならない。

 判決文もやはり個人情報などを削除して公開範囲を広げなければならない。情報は誰もが接近できなければならず、それが記者たちの特恵になってはならない。20年前の盧武鉉が正しかったと考える理由だ。馴染んだ慣性が退行の原因だ。(イ・ヂョンファン記者)■

原文出典URL → http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002853208&PAGE_CD=ET001&BLCK_NO=1&CMPT_CD=T0016